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     エル・プランタン

      昭和の日のケーキ


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  昭和の日をお祝いするケーキ

 美味しいケーキで昭和の日をお祝い下さい
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いちごとリボンのケーキ
  
ピンクのハートとフルーツ
         



 エルプランタン
サンマルク・レザン

  苺ショート
 生チョコレート

 グラン・クリュ
 和栗モンブラン

純生カスターシュー
ベイクドチーズのホールケーキ

  昭和の日

昭和の日の由来と昭和天皇
 4月29日は「昭和の日」です。昭和時代には天皇誕生日であり、昭和天皇崩御の後は「みどりの日」とされていたのを、2007年から「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という趣旨から「昭和の日」とされました。
 確かに昭和は「激動の日々」でした。大東亜戦争という史上空前の大戦争で国内は瓦礫の山となったが、そこから世界第2位の経済大国へと奇跡の復興を遂げた。その激動の64年間、昭和天皇は国家を支えてこられました。
 この激動の中、特に戦前の御前会議などで大きな決断を求められた時、昭和天皇は、しばしば「もう少しやわらかいやり方はないか」と、事前にお尋ねになられた、といわれています。
「平らけくしろしめせ」(平安に治めなさい)というのが、皇室の先祖である天照大神が命じた所であり、歴代の天皇もそれを守って、「和(やわ)らげととのえてしろしめす」方法をとられてきました。「知(し)ろしめす」とは「天皇が鏡のような無私の心に国民の思いを写し、その安寧を神に祈る」という事です。「もう少しやわらかいやり方を」と言われる昭和天皇の姿勢は、皇室の伝統そのものなのでした。

「終戦後、昭和天皇が始められたのは、国民を見舞い、励ますための御巡幸でした。沖縄以外の全国、3万3,000キロの行程を約8年半かけて回られた。立ち寄られた箇所は1,411カ所に及び、奉迎者の総数は数千万人に達したと言われています。
 昭和20年9月27日、昭和天皇は占領軍司令官ダグラス・マッカーサーと会見し、「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります」と述べた上で、こう語られました。
「戦争の結果現在国民は飢餓に瀕している。このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出るおそれがあるから、米国に是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充てて頂ければ仕合せである。(『奥村元外務次官談話記録』)」
これを聞いたマッカーサーは、次のように反応したといわれています。
それまで姿勢を変えなかった元帥が、やおら立上って陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして御手を握り、「私は初めて神の如き帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの時は、元帥自ら出口までお見送りの礼をとりました。

「日本のこころ」のあり方を示す「日本国の象徴」
 京都大学の中西輝政教授は日本文明の大きな特徴を次のように記している。
日本ではつねに「正直できれいな心」「裏表のない心根」という、独特な心のあり方が求められる。さらには「素直で争いごとを好まない」「黙々と努力する」「約束を守る」などといった、「心の清潔さ」に大きな価値が与えられてきた。これを古い時代には「明(あか)き清き心」「直き心」と呼びました。
 これこそ日本文明の大きな特徴であり、このような「心のあり方」に重要な価値を置く文明はほかには見あたりません。…この国には、一人ひとりが自らの内面を大切にし、「心の清潔さを保つことこそ、幸福を招き、社会を平穏にするもとである」と考える、確かな伝統があるのである。…
そしてこうした「日本のこころ」のあり方を、目に見えるかたちでもっともはっきりと示すもの、それが天皇なのである。 (『皇室の本義』中西輝政、福田和也 著/PHP研究所)
「日本のこころ」のあり方を目に見えるかたちで示す。これが天皇を「日本国の象徴」とすることであるとしたら、その「象徴」の意味はとてつもなく重いといえます。

「お金を拾ったら警察に届ける」と言う日本人が、スペイン人、アラブ人、ロシア人などから「ナイーブすぎる」「バカだ」「どうして警察が信用できる?」と集中砲火を浴びせられる。これが現代の国際社会の縮図でしょう。
こんな国際社会の中で生きていくためには、嘘をついても、人を騙しても、自分の利益を守っていかなければならないのか。これについても先の中西輝政教授はこのように語っています。
「よく日本人は「外交下手」といわれるが、これは私の見るところ、深い意味で「仕方のないこと」なのである。なぜならそれはこの国の本質、日本文明の核心に関わる欠点だからである。そして深いレベルでは「外交下手」は、むしろ日本の誇りでさえある、といえるかもしれない。」 (同上)
 確かに相手国を騙して利益を得る外交も、短期的には成り立つでしょう。しかし、相手国も馬鹿ではない。長年付き合っていれば、信頼できる国かどうかは、いずれ分かってしまうものでしょう。
 かつて読売新聞などが行った「アジア7か国世論調査」では「日本がアジアの一員として、アジア発展のために積極的な役割を果たしている」「日本が世界に良い影響を与えている」という声が圧倒的でした。
我々は、もっと自信を持って、国際社会に対すべきではないでしょうか。それが波風の絶えない国際社会を「和らげ調え」る事につながるものと考えます。



 ☆元号に関連する新聞のオピニオン記事がありましたのでこれを転載します。

 御代替わりにあたり 「時の力」としての改元を寿ぐ

  論者: 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子氏
≪元号の意義を根本から考える≫
 本年3月21日付の朝日新聞朝刊に「『改元』を考える」と銘打った、なかなか野心的な社説が載っていました。世の中は「平成最後」だの「平成30年間」だのと騒いでいるが、「でも、ちょっと立ち止まって考えてみたい。『平成』といった元号による時の区切りに、どんな意味があるのだろうか。そもそも時とはいったい何なのか」−この社説はそう問いかけています。たしかに、元号というものの意義を根本から考えてみるのに、今はまたとない機会だと言えるでしょう。
 それにしても、これは野心的な問いかけです。「そもそも時とはいったい何なのか」−これを問われないうちは知っている(と思っている)が、問われると知らない(ことが明らかになってしまう)と中世の教父哲学者アウグスティヌスは告白しています。実際、これは今なお哲学者たちを悩ませている難問なのです。
 ただし、これが難問になってしまうのは、この問いをなにか抽象的に自分とかけ離れたところで問おうとするときです。われわれは、いつでも時を体験しながら生きている。その体験を見つめることの中からしか、「時とは何なのか」の答えは得られないのです。
 たとえば、われわれは現に元号による時の区切りをもっている。そこにはどういう時の体験のかたちがあるのか、と見つめ直すところから、われわれなりの答えをさぐるほかありません。
 いま名を挙げたアウグスティヌスなどは熱心なキリスト教信者ですから、時間というものも、神が天地を創造したとき同時に創造したのだと考えます。そしてそこを始点として年を数える「創世紀元」なるものを定めるのですが、これは始点だけでなく最後の審判という終点をも持っている。これほど徹底して神に支配されている時間観は、およそわれわれとは異質のものと言えるでしょう。
 ≪生成力を体現した古事記の神々≫
 わが国の神話では、神が時を創造するなどということはありません。『古事記』に描かれる神々は、次々と時のうちに登場してくる。いや、むしろ新たなる時そのものを体現して登場してくると言った方がよいかもしれません。
 ことに「次に国稚(くにわか)く浮きし脂(あぶら)の如(ごと)くして、海月(くらげ)なす漂(ただよ)へる時、葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)る物によりて成れる神」宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)などは、時の生成力そのものを体現した神とすら感じられます。かつて丸山真男氏が『古事記』のこうした記述を評して「つぎつぎになりゆくいきほひ」と述べたのは、まさに本質をついた至言だと思います。
 もちろん次々に成りゆくことの裏側には、うつろうこと、滅びゆくことがはりついているわけで、そうした時の後ろ姿をつくづくと眺めて「もののあわれ」を感じ取ることもまた、わが国の文化の特色です。そうした二枚重ねのかたちに支えられてこそ、「つぎつぎになりゆくいきほひ」も力を持ちうるのです。
 このように古くから引き継がれてきた時の体験のかたちが最もくっきりと表れ出るのがお正月です。大みそかに大掃除のすんだ後、除夜の鐘を聞きながら、われわれは去りゆく年の後ろ姿をしみじみと見つめます。そして夜が明けて元旦になると、口々に「明けましておめでとう」と挨拶しあう。
 いったい何がめでたいのか、と改めて尋ねられたら、誰でも困ってしまうでしょう。合格だの優勝だのといった、なにか特別のことがあるわけではありません。単に時の目盛りが前年12月31日から1月1日に動いただけのことです。
 ≪日本に根付く古来の時のかたち≫
 しかし、まさにその動くということ。時が進むということ。一口に言えば、新しさを送り届けてくれる時の力そのものを寿(ことほ)いで、われわれは「明けましておめでとう」と挨拶しあうのです。
 元旦に、宮中三殿(賢所(かしこどころ)、皇霊殿、神殿)では、天皇陛下と皇太子殿下が歳旦祭(さいたんさい)を営まれます。これは、皇祖皇宗に旧年の神恩への感謝をささげ、新年の国家隆盛と国民の安寧を祈られる重要な祭祀(さいし)です。そして、全国各地の神社でも、同じく歳旦祭が営まれる。
 つまりこのように、毎年新しい年がめぐり来るたびに、われわれは『古事記』の昔からの〈時の体験のかたち〉を、国を挙げて生き生きと再現しているわけなのです。毎年のお正月、かくも多くの人々が神社にお参りし、皇居の一般参賀に訪れるのも、偶然のことではありません。
 表立って意識してはいなくともわれわれは身心の奥深くで古来の時のかたちを生きている。そしてそのことがあればこそ、元号という時の区切りが意味を持ち、改元ということに意義があるのです。
 改元の日、われわれは元旦と同様、ただ晴れ晴れと「おめでとうございます」と言えばよい。それこそがわれわれの「時とは何か」への答えなのです。(はせがわ みちこ)

平成31年4月24日金曜日 産経新聞「正論:御代替わりにあたり 「時の力」としての改元を寿ぐ」埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 を転載


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